自分の中の「べき論」の弊害

人は誰でも自分中のルール(マイルール・べき論)を持っています。それは親から学んだこともあれば自分の経験から作り上げたこともあるでしょう。また自分が理想とする自分になるために作ったものかもしれません。しかしその「べき論(マイルール)」がもし今の自分にが生きるには大きな足かせになっているとしたらあなたはどうしますか?

 

べき論(マイルール)は自分を律するためには大切なものです。持論を持つ本人にとっては自分の価値観であり大切にしたいものでもある反面、人を見る基準になってしまうと怒りやイライラのもとになる厄介なものでのあります。このべき論には大切にした方が自分らしくいられるものと、見直した方が人間関係が作りやすくなる・自分が苦しさを感じることなく生活できるものとがあります。

 

ここで改めて考えてほしいことは「自分はいったいどのようなべき論を持っているのだろう」「それは必要なものなのか」といった視点です。

 

【私の例でいうと】~過去の自分が持っていたべき論

・妻は必ず夫が帰る前に食事とお風呂の用意は済ませておくべき

・母親は手料理を作るのが当たり前(総菜や出前などの手抜きはもってのほか)

・社会人ならば自分の問題は自分で解決すべき  など

 

これをみてどう思いましたか?客観的にみれば「無理だろー」と思うこともありますよね?しかし、当の本人いとってはこれらのべき論は正解であり守らなければならないことなのです。そう考えると自分が自分にとって理不尽なべき論に縛られて生きているということに気付きませんか?そしてそのべき論というフィルターで他人を見てしまえばどうなるか。そう、相手に対して好意的な感情は生まれにくく、円満な人間関係を作る弊害になってしまうのです。

 

そのように、べき論(マイルール)は自分を形成する価値観と同時に自分を縛る鎖でもあり、他人との間にできる壁でもあるのです。そのようなべき論に苦しんでいるならばとりあえず私の例題のように書き出してみてください。その中で「それって本当に必要?」と考えることがいらないべき論を見直す第一歩です。

 

 

 

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