レッテルという名の偏見

「レッテルを貼られる」とはよく聞きますが、それは他者からの「偏見の目にさらされる」ということなのでしょう。しかし、この「レッテル」とは誰の基準なのでしょうか?「偏見の目」の基準とはどのようなものでしょうか?

 

確かに犯罪に手を染めたりすることはいけません。でも、自分の考えを述べた事が原因で「私と意見が違う」=「周りを違う」という考えのもとで他人に偏見を持ったりしていませんか?またはそのような偏見を持たれたりした経験はありませんか?

 

そもそもレッテルとは「自分と違う」ことで貼ってよいものなのでしょうか。もしそうならば大多数の人が「お互いを偏見の目で見て、相手を卑下したり、自分が悦にいるための道具」として他人を使っているということになりませんか?そのようなことを人道的な視点から考えて、やっていいことなのでしょうか。

 

このような事が社会全体に横行し、果ては夫婦や親子、恋人や友人などの近しい相手との間に起こると、それは紛れもない「モラルハラスメント」となるのです。以前にもモラルハラスメントの事は書きましたが、なぜ人は他人をおとしめてまで「自分をよく見せよう」と躍起になるのでしょうか。それこそ「自分は弱い人間です」と宣言しているようなものではありませんか。

 

人と自分を比較することで人は優越感を得たり、劣等感を感じたりしながら、それでも人間関係を結んでいきます。それが近年では(それもここ最近のことです)自分の心を守り、自分さえ良ければという考えに動かされていることにも気がつかずにいる人が多すぎます。もし、当てはまる人がいるならば、今一度自分の言動に正当性があるかどうかを考えてみましょう。そして、被害に遭っている人は他者が自分に対して行っていることの不当性はないか考えてみましょう。

 

 

 

 

メルマガもはじめました。

登録はこちらから、もちろん無料です。

わかばのメールマガジン

お申し込み、お問い合わせは24時間受付けています。

ご予約・お問い合わせはこちら