あらためて気づいた「自分」

以前私の夢にの話を書きましたがその時に見た夢の中で特に印象的だった夢の事を最近になって思い出すことがあります。これはかなり前に見た夢ですが、苦痛と孤独を感じた夢でした。

 

夢の内容はこうです。

 

私は目の前に広がる山々へとのびるまっすぐな道を車で走っています。道は途中で左右に分かれ右へと大きく曲がり山を越えようとしています。車にはもう一人同乗者がいて、その人が運転をしてます。(私は助手席)運転手が誰なのかはわかりません。男性だったことは覚えています。外はバケツをひっくり返したような土砂降りで前も見えないほど・・・山を越えればそこには海が広がることは前回のブログにも書きましたが、山を越える途中ラジオから「数人の男性が赤ちゃんを大きなバックに詰めて誘拐し逃走している」というニュースが流れます。そのとき山道の途中のパーキングスペースに数人の男性が大きなバックを抱え雨の中大きなバックを地面に放り投げている光景を目にします。私はその瞬間「あれはさっきラジオで言っていた誘拐犯だ!」と感じ、運転手の男性に車を止めてほしい。雨の中小さな赤ちゃんが置き去りにされたら死んでしまう。助けに行きたいと・・・しかし運転手の男性はその私の言葉を無視しどんどん道を進んでいきます。バックミラーにうつる複数の男性と大きなバック。私はとっさにドアを開け走る車から飛び降ります。「お願いだから死なないで。生きていて!」と大声で叫びながら急な坂道を駆け上がっていきます。外は大雨、風も強くなりまるで台風のよう・・私はその犯人らしい集団からバックを奪い急いで開けています。その時にはすでに犯人らしき人物は消えていたように思います。ずぶ濡れの赤ちゃんに触れてみるとあたたかく、息もあります。「よかった。生きていた。生きていてくれた」と赤ちゃんをきつく抱きしめながら大泣きしたとことで目が覚めました。

 

今この夢がなんだったのか改めて考えてみるとこの赤ちゃんは「私自身のこころ」だったように思います。この夢を見た当時の私はいろいろな人からの抑圧を受け、またその抑圧を跳ね返す力も気力もない状態でした。自分の心を捨て、感情を消し去り、何も感じない世界を自ら選び、そうすることでしか生きていくことがつらいと感じていた時期でもあり、実際にこのとき自分の心を捨てました。

 

赤ちゃんを誘拐した犯人は私を抑圧するもの、当然それを受け入れてしまった自分自身とも言えます。運転手の男性は私が自ら捨て去ってしまった心を取り戻そうとする感情をじゃまするもの。たぶん現実世界でもあり心を取り戻すことへの罪悪感でもあります。それを振り払い取り戻した赤ちゃんは私が捨ててしまった「私の心=感情」だと思います。たとえどんな困難に遭っても苦痛を感じなくて済むように自分が苦しみたくない一心で捨ててしまったもの。それを取り戻そうともがいていた時期に見た夢です。

 

今となっては自分から心(感情)を捨てるなどバカなことをしたものです。それを取り戻すのに何年もかかりました。あの時もしこの夢の本当の意味を知っていたならもう少し早く心と取り戻し、心を捨てた代償として与えられた虚無感から解放されたかもしれません。

 

このように夢は本人の無意識の世界が形をかえて現れたりします。このことは精神分析で有名はジグムント・フトイトやカールグスタフ・ユングといった人たちが大いに研究していました。今でこそあまり注目されなくなってきた「夢」の解釈ですが、私はこの「夢」というものにも意味があると思っています。それがすべてとは言いません。しかし、本人すら自覚できない「何か」を知る手掛かりになる事は間違いなさそうです。捨ててしまった心をもう一度取り戻そうとした時は苦しくもありつらくもあり、迷いもありました。気持ちが振り子のように揺れ動いていた時期でもありましたが、今は取り戻すことができて本当に良かったと思っています。

 

私らしく生きるために・・・

 

その時私に手を差し伸べて下さった方々へは感謝の気持ちでいっぱいです。この「心を取り戻す」という体験があったからこそつらくとも逃げずに「自分と向き合う」ことができ今の自分があるのだとそう思っています。

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